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コラムコンテスト お題「音楽」(2002年)

エレジィ・フロム・インサイド

 俺、麻生隆司はただ座っていた。町田シティのペデストリアン・デッキの端っこだ。真っ昼間から何をやっているんだろうか。疑問に思わないわけでもない。けれども、さっきから俺の瞳の中に映るのは、往来を行き来する人々のデニム地のズボンやフリルのスカートとか、そんなものばかり。無精髭と伸ばしっ放しの髪がだらしないと人に言われた。自分で百も承知だ。その上白いワイシャツがはみ出し、おヘソのチラリズム。風が吹いた。どうやら少しだけ冷えてきたようだ。肌寒い。十一月も半ばになると、ホームレス諸君にはさぞ辛い季節になるのだろうな、などと思ってみる。もちろん、俺はホームレスではないから、実際のところは分からないのだけど。
 不意に、群衆の中に見慣れた帽子が見えた。赤いニットの帽子。流離いのベーシスト、前村資生のお気に入りの格好だ。
「リュージさん、今日もここにいたんですか」
 資生は誰の断りもなしに勝手に俺の隣に座る。いや、別に誰の断りも必要はないのだが。前髪に紫のメッシュ。そしてチャラチャラと腕や腰回りにシルバーのアクセサリが散らばっている。年々、彼のファッションはパンクに移行している。そんな風に俺は思った。
「またやりましょうよぉ、ヘビメタ!」
「モトオ、俺はもう音楽からは足を洗ったんだ」
「まったまたぁ!」
 正確には、足を洗うという言葉は適切ではない。だが、これは言葉の彩ってヤツだ。
 資生は軽く肩を竦めると、後ろポケットから煙草を取り出した。
「一本、行きます?」
 ぐぃっと俺の目の前に差し出す。俺はそれを手で制すると、溜め息を吐いてみる。
「なぁ、モトオ。どーして俺が音楽を止めたか知ってるか?」
「知ってますよぉ」
 ニヤニヤと資生は笑った。
「ケーコさんが死んだから、とかロマンチックなことを言い出すんでしょ?」
「……あのなぁ」
 資生はふぃーっと煙草の煙を俺の顔に思い切り吹きかけた。
「違う、とは言わせませんから」
「……あぁ」
 俺は笑った。さぞ自嘲気味に見えただろうな、と勝手に思う。そのまま資生は黙り込んだ。別に会話を潤滑に進めてやる義理もないから、俺も何も言わずに黙っていた。
「……あのぉ」
 不意に資生が口を開いた。
「何だ?」
 俺は適当な声を出す。
「イヤ、別に……」
 資生は俯いた。
 人通りがしばらく途絶えた。昼時だし、外は寒いから、喫茶店がさぞ繁盛するんだろうな、などとどうでも想像をする。もちろん、俺は喫茶店のオーナでもないし、喫茶店でバイトをしたことだってない。だから、本当のところは分からない。
 俺はチラリと資生を見る。
「沈黙には耐えられない質か?」
 俺は何気なさを装って聞いてみる。意地悪な性格は昔からなのだ。
「えぇ、耐えられない質なんです」
 流離いのベーシストはチラリと俺を見ると、煙草を地面に擦り付けた。
「生憎、俺は苦手じゃないから、な」
 そう言うと、俺はまたダンマリを始める。資生はふぅ、と溜め息を吐いた。この彼の困った顔がまた面白い。
「……あのぉ」
「だから何だよ?」
 少しの間があった。
「……僕は」
 いつになく真面目な資生の顔だった。
「僕は、またリュージさんと一緒にバンドが演りたいんですけど、ねぇ」
 俺は資生の顔を正面から見据えた。そして、
「なぁ、モトオ」
「何です?」
「どーして俺が音楽を止めたか、知ってるか?」
「だからぁ!」
 資生は振り返った。
「ケーコさんが死んだからって、そー言うんでしょ?」
 ハハハ、と俺は渇いた笑い声を上げた。
「違いない」
 冬の前兆を示す、冷たい風が吹いた。
「……あのぉ」
 資生が本日何度目かの声を発する。煙草の空箱が地面に転がっていた。
「コーヒーが飲みたくなったなぁ」
 俺は軽く無視して、ポソリとつぶやいてみる。
「あ、僕、おごりますよ」
 資生は立ち上がって、慌ててポケットからヨレヨレの財布を出す。
「寒い寒い」
 そう言いながら、俺も立ち上がる。大分、身体が冷えてしまった。流離いのベーシストはさっきから僅かに震えていた。喫茶店に移動してやろう、というのは、俺の心からの優しさの表れである。
「ジョージアで良いですよねぇ」
 資生は自販機を探し始めたようだった。どうやら折角の計略はご破算のようである。
「ねぇ、リュージさん」
「何だよ?」
 俺はポケットに両腕を突っ込むと、首をすぼめ、資生の後ろをくっついて歩いていた。
「僕ともう一回バンド、組みません?」
 俺は曖昧に微笑んだ。
「なぁ、モトオ」
「何です?」
 俺は手を大きく広げるジェスチャーをした。
「どーして俺が音楽を……」
「何で僕が流離いのベーシストなんて名乗ってるか、知ってます?」
 俺の気の利いたジョークは途中で遮られた。とっさに思考回路の網を広げる。
「……知らねぇな」
 けれど、素っ気なく言ってやる。彼の通り名の由来なんて思い至るものがなかった。
「リュージさん以上のヴォーカルを探そうって、そー思って何処のバンドにも所属してないからですよ」
「俺の知ったこっちゃない」
「僕は、未だにあなた以上のヴォーカルに出逢えないんです」
 俺は笑う。
「まるでシンデレラだな、モトオ」
「シンデレラ?」
「買い被り」
 予想に反して、資生はクスリとも笑わなかった。
「やっぱり喫茶店にしようか」
 俺は言った。
「少し寒いです」
 資生も異を唱える気はないらしい。
「何しろ、もう冬だから、ね」
「いや、シンデレラの方ですってば」
 資生がニヤニヤと笑った。どうやらイニシアチブを奪取された感が拭えない。その上、結局、喫茶店の繁盛に一役買ってしまったことになる。俺は大きく溜め息を吐いた。
「ケーコは、さ……」
 俺は新垣恵子の話を始めていた。

 彼女は天才作曲家、新垣泰蔵の孫だった。才能というモノが隔世遺伝するものかどうかはしらない。それに、もし仮に隔世遺伝するのだとしても、俺の祖父に何らかの才能があったわけじゃないから関係のない話だ。だがしかし、新垣恵子の才能は目を見張るものがあったわけだ。彼女がピアノに触ると、目の前に極彩色の世界が構築されていった。

「ねぇ、リュージくん。キミはどーして授業に出ないの?」
 彼女は正義の塊のような顔で俺に聞いた。もちろん、正義の塊なんてものは見たことがない。しつこいようだけれど、ただの言葉の綾だ。
「……つまんねぇんだよ」
「わぁ! リュージくんって、頭が良いんだぁ!」
 彼女は意味の分からないことを言った。別に授業のレヴェルが低いとか、だから退屈だとか、そんなんじゃない。だが、彼女はそういう嬉しい誤解をしたようだった。
「ね、リュージくん。歌を歌おう。私がピアノを弾くから」
 さらに唐突に彼女は言った。
「……あのなぁ」
 そして、満面の笑みで手渡される譜面。それは手書きだった。
「昨日、ね。私が作ったんだよ!」
 残念ながら、俺は譜面が読めなかった。
「あのなぁ、どーして俺が歌わなきゃならないんだよ!」
「だって、つまらないから授業サボってるんでしょ? なのに、今もつまらなそうな顔してる」
 そう言われて、はたと今が授業中であることに気づく。
「あれ? お前、授業は?」
「つまらないんだもの」
 彼女は言い切った。どうやら正義の塊はまやかしのようだった。
「へぇ……。新垣さん、頭、良いんだ」
 もちろん、嫌味である。
「うん!」
 彼女はさも当たり前のようにうなずいた。何処までも変な少女だった。

「変な女の子だったんですねぇ、ケーコさん」
 資生はつぶやいた。
「お前が言うなよ!」
 俺はコーヒーを啜る。
「あ、一つ言っておきますけど…」
 資生が手をひらひらと振った。
「喫茶店に行こうって言い出したのはリュージさんですからね」
「だから?」
「僕はお金、出しませんから。自分のは自分で払って下さい」
「……ケチだな」
 資生はにっこりと笑った。

 彼女の作る曲は、偉大だった。彼女の指から奏でられるメロディを聞いて、俺は迂闊にも涙を流してしまった。全身にビビビッと電撃が走ったようだった。
「俺を弟子にして下さい!」
 こうして師弟の契りが結ばれた。
 俺は見様見真似で作曲を始めた。確かに彼女は頭の良い女性だったらしく、音楽理論やらコード理論やらを俺に詳しく教えてくれた。そしてもう一つ。ラッキィなことに、俺もどうやら少しは頭の良い人間だったらしく、するすると理屈めいたものを吸収していった。
「リュージくん、すごーい」
「そうっすか?」
「うまいうまい!」
「マジっすか?」
 彼女の褒め言葉が蓄積されていく。はっはっはー。俺は天才だぁ!
「これがリディアン旋法って音階よ」
「……にゃるほど」
 その上、論理武装した天才ほど強いものはない。彼女のピアノと俺の歌声。俺たちは最強コンビだぁっ!

……唐突に彼女のオーストリア留学が決まった。

「で、しばらくして、俺はお前らとバンドを組んだ」
「ケーコさんはクラシック、リュージさんはロックを選んだんですねぇ」
 資生はのんびりと言った。
「ジャンルなんてもんに意味はないさ」
「ま、そーですけど」
 俺と資生はしばしコーヒーを啜る。
「でも、僕がパンクを自称してるのは、自己主張であって……」
 そう、資生が言った。
「サタニズムってのは、ヤハウェを認めてしまった時点で勝ち目がないのさ」
 俺は言い放つ。
「うわぁ、高尚なお話」
 資生はふざけた。
「でも、リュージさん。インサイダを意識するコトは悪いことじゃない」
 この男、これで決して頭は悪くない。ちゃんと会話について来ているのだ。
「無意識のアウトサイダってのがある」
 俺は混ぜっ返す。
「産まれながらのアウトサイダ」
「あー、なるほど」
「つまり、ケーコはそーゆー人だったんだよ」
 俺がそう言うと、うんうん、と資生が頷いた。

「この間の曲、メタモルフォーゼだっけ?」
 受話器越しに外国からのケーコの声。妙に大人びている気がした。
「あれは聴き手に迎合してる気がするなぁ、私は」
「やっぱりそー思います?」
 俺は電話越しに頷く。もちろん、このモーションは彼女には見えてないわけだから、それ自体がナンセンスである。それでも頷いてしまうのは何故だろう、などと考える。
「で、逆にアイボリィ・タワーは聴衆に負担を掛け過ぎるわ」
「……負担、ですか?」
 痛いところを突いて来る。
「つまり、リュージくんが衒学的になり過ぎてるのよね」
 いつだって、彼女の批評は的確だ。俺の意図を見透かしている。確かに幾分のひけらかしが入っているのは事実だったりするからだ。こうやって、作る曲作る曲、俺は彼女に聞かせ、感想をもらっていた。
「新プラトン主義って曲、歌詞は面白いわね」
「マジっすか?」
「でも、奇を衒ってはいけないわ」
「奇を衒うイコール芸術ではない、と。反省しときまーす」
「わかってるんならいーけど」
 彼女の苦笑が伝わってきた。
 歌詞をほめてもらったのは、正直珍しい。だから、ちょっと有頂天になってみる。奇を衒っているのはわざとだから、聞く耳を持つ気はない。でも、それを知っていて釘を刺してくる辺り、さすがにケーコなのである。
「ね、今、面白い曲を作ってるの。自信作だわ。マスタ・ピースの予感がする」
 彼女が電話越しで珍しく興奮しているのが分かった。
「次に会うときに聞かせるわ」
 俺は大きく頷いた。また頷いてしまった、などとどうでもいいことを思った。

「で?」
 資生がコーヒーを啜った。
「ん?」
 俺もコーヒーを啜る。
「どーしてケーコさんが死んで、リュージさんが音楽を止めるんです?」
「彼女をソンケーしてた」
「……ええ」
「だから、同じラインに並びたいって思ってた」
 俺は言った。資生はうんうん、と頷いた。
「彼女にほめてもらうことが、これつまり、俺の原動力だったんだよ」
 俺は笑った。自嘲気味に見えただろう。それは確信だった。
「あー、愛ですねぇ」
 資生は笑った。俺は何も言わなかった。そんな単純な感情では片づかないだろう。けれど、それをいちいち説明する気にもならなかったし、説明できるとも思わなかった。むしろ、資生の言う通りに、愛という言葉でカテゴライズしておいた方が楽な気がするのも事実だった。
「彼女のマスタ・ピースは聴いたんですか?」
「……いや」
 資生は黙った。俺も黙った。長い長い沈黙が二人を支配した。
「お前、沈黙は苦手だって言ってたっけ?」
 沈黙を破ったのは俺の方だった。モトオは空のコーヒーカップを軽く持ち上げる。
「リュージさんの方こそ……」
 流離いのベーシストは笑った。資生を見る。彼の眼の中に、俺の顔が映っていた。
「ねぇ、リュージさん。そろそろ、再結成の一曲目は決めてもらえました?」
 ひらひらと、資生が手を振っていた。