アバウトな創作工房

文章表現論 お題「スカート」(2005年)

學問ノスヽメ

 彼はひらひらとロングスカートをたなびかせて、颯爽と街を歩く。時折、石畳の上をくるくると回ったりする。それに合わせて、ふわふわと前髪が揺れたりもする。私は、彼の後ろを追いかけていた。彼の歩幅は私よりも少し広いから、必然的に、私は置いていかれるのだ。
「ヒカル、ちょっと待ちなさいよ。女の子を置いていくなんてひどいゾ」
 通り抜けていく群集は、きっと、私たち二人を仲の良い女友達だと勘違いしていると思う。何しろ、彼はかわいらしい顔立ちをしている。生まれつきの童顔なのだ。ハスキーな声も素敵だし、私なんかよりもずっと女の子っぽくて羨ましい限りだ。
 実は、私もはじめて彼が文芸部の部室の扉を彼が叩いたときには、彼を女性だと認識した。
「ボクは町村ヒカルと申しまーす」
 能天気に自己紹介されたときも、女の子なのに一人称が「ボク」だなんて、これは不思議系の娘に間違いない、と思ったほどだ。もちろん、不思議系のキャラクタであることには変わりなかったのだけれど。
「だって、先輩」
 彼は言う。
「あらゆる選択肢の中から、自分に一番最適な服を選択する。その結果、出て来たのが、このファッションなんです」
 なるほど、その通りだと思う。でも、もし、仮にそうだとしても、普通はそんなスタイルは選ばないと、私は思う。
「だって、ほら。インド人はカエルを食べる。イタリアではエスカルゴを食べる。アフリカには、生きたままの甲虫の幼虫を食べる民族がいるでしょう。でも、彼らにとっては、当たり前の食事なんです。それに対して抵抗を感じたり感じなかったりするのは、ボクらの勝手なバイアスなんです」
 言いたいことはよく分かるけれど、でも、何だか釈然としないものを感じる私である。それはつまり、インド人がカエルを食べるのだから、私たちもカエルを食べるべしということだろうか。抵抗というのは、もっと文化の根本に根ざした奥深くに伸びた感覚であって、必ずしも、無批判に日本の文化に取り込んで、受け入れるのが正解だとは思えない。
「うん。その通りです、先輩。日本は、あまりにも考えなしに西洋近代化を受け入れてしまったから、こんなに文化が荒廃している。きっと、本当は、ちゃんと、その本質を考えて導入しないといけなかった。カエルを食べることを拒絶するのでも、否定するのでもなくって、考えて、よく咀嚼して、それから選択すればいいとボクは思うんです」
 いつだって、彼の言うことはよく分からない。時々、ひどく近代主義を憎んでいたりする。きっと、まだ、私には理解できない理論があるのだろう。
「先輩も、一度、スカートをはいてみたらいいのに」
 彼はそう言うと、歩道から道路に飛び降りた。彼のスカートが、ふわり、と宙に舞い上がった。その仕草がとてもかわいらしくて、私はいつだって、羨望の眼差しを向けるのだ。

この作品はいかがでしたか? ご意見をお寄せください。

面白かった まあまあ 普通 あんまり つまらなかった

感想はメールフォーム掲示板にてお待ちしております。