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コラムiランド お題「夏」(2008年)

真夏にはビールとビキニ、それから少しだけの拳銃を

 寄せては返す波。海面はゆっくりと後退して、白い砂浜はその面積を広げていく。太陽は南中。ギラギラと突き刺さる光線に、俺は目を細めた。眼前をビキニ姿の女たちが通りすぎる。頬の筋肉が弛む。ぬるくなったビールを喉に流し込んで新しい缶を開けた。
 たまの休日だ。俺は砂浜に横たわり、ビール片手にビキニ観賞と決め込んでいた。仕事から解放されて家でゆっくりしていたかったが、こうやって妻を海水浴場へ連れてきた。それだけでも大層なサービス。いわばスペシャル。ありがたく思ってもらいたいものだ。
「奥さんと海水浴なんて羨ましいですね」
 声を掛けられて俺は振り返る。そして絶句。上から下まで真っ黒いスーツに身を包んだ男。黒いサングラス。ご丁寧に白い手袋まではめている。松田勇作のようなくしゃくしゃの髪。ビーチにはあまりに異質な出で立ちに、俺は思わずたじろいだ。
「暑くないですか?」
 しばらくして俺は訊く。
「まずは形から入るというのが私の流儀で」
 男は訳の分からぬ返答をして、俺はますます混乱した。
「あ、申し遅れました。私、殺し屋を営んでおりまして」
 男が手を差し出したので、俺は自然とその手を握る。それから、少しのタイムラグ。
「……殺し屋?」
 ようやく言葉の意味が脳に到達した。
「あ、私、この度、あなたを殺すように依頼されまして。こうしてまかり越したわけです」
「俺を?」
 男はにっこりと微笑んだ。あまりにも非現実的な展開に、俺はうまく対応できずにいた。
「一体、誰が?」
「依頼主ですか? それはお教えできません」
「いくらで?」
「五十万円ほどです」
「……ずいぶん安いんですね」
 あまりにも間抜けなレスポンス。でも、あまりの安さに正直、拍子抜けしてしまったのである。
「ご安心を。それがあなたの価値というわけでもないのです。五十万円というのは、私が人を殺してもいいと思える値段。リスクとリターンを考えて私が弾き出した金額にすぎません」
「でも、殺し屋にしては……目立ち過ぎませんか?」
「黒い服、白い手袋、サングラス。大概、人の記憶に残るのは、私にとって飾りの部分だけ。そういう戦略でして」
 彼はにやり。俺は残っていたビールを飲み干した。ぬるい苦味が喉を通り抜ける。
「たとえば、百万円払うからそれで俺を見逃してくれるというのは?」
「それがあなたの命の対価というわけですか?」
 男は笑って、俺もへらへら笑う。
「駄目です。この業界、こう見えて競争社会。信頼をベースに成り立っていて、プラス五十万じゃ、依頼人を裏切れません」
 男はポケットから拳銃を取り出して、俺の額に突きつけた。
「ちょ、ちょっと待って。これならどうだ?」
 俺の言葉に、殺し屋は一瞬、手を止めた。俺はこの機を逃すまいと喋り続けた。
「俺を殺して手に入れる予定だった五十万。それに、俺の依頼でもう五十万を上乗せして合わせて百万。それで、俺を助けて俺を殺すように命じた依頼主を殺せ。依頼人は死ぬんだ。信頼が揺らぐ心配なんて不要だ」
「面白いことを考えますね」
 殺し屋は笑った。
「いいでしょう」
 男は拳銃をしまって、代わりに一枚の名刺を差し出した。
「明日までにこの口座に百万を支払ってください。そうしたら、あなたは晴れて人殺しの依頼人になる」
 その発言に、俺は冷水を浴びたような気分になる。それでも、俺はその名刺を受け取っていた。男は俺に背を向けると歩き出した。ビキニの女性たちが彼の格好を見て笑うのが見えた。ふらふらと立ち上がる。青いクーラ・ボックスから新しいビールを取り出して喉に流し込む。
「どうしたの? 汗びっしょりじゃないの?」
 気がつくと隣に妻が座っていて、俺はいまさらながら海水浴場にいたことを思い出して、妻に抱きついた。