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空と雲のスタイル

 日曜日だった。天気の良い日だった。陽射しが強く、眩しい。うっすらと額に汗が流れる。
 私は川沿いを歩いていた。別に川に興味があるわけではない。都心の川なんて綺麗なものではないし、親水性を謳ってみたところで、所詮はその大半が下水処理水である。人工美でしかない。いや、別にペシミストを気取るつもりはないのだ。
 しかし、こんなに暑い日に川沿いを歩くのも悪くはないではないか。水がキラキラと光を返す。何か目的があったわけじゃない。全ての行動に意味があるなんて考えちゃいないし、意思決定に正当な動機が必要だ、なんてことも考えてもいない。いや、動機はあるのかも知れない。ただ、それが一意に定まらないだけで。見えにくくなっているだけなのかも知れない。まぁ、結局のところは戯れ言だ。

 川縁のひらけた草原で一組のカップルに出会った。若い二人組み。無精髭で茶髪の逞しい男と、へらへらとよく喋る赤髪の女。彼らはトラックに乗ってきたらしく、カーステレオから流れるジャズをBGMに川縁に座っていた。男の口元から風下に、煙草の煙が流れていく。
「何をやってるんです?」
 私は聞いてみた。
「放浪の旅だね」
 男は何の感慨もなくそう言った。
「二人で、ですか?」
 無粋かな、と思った時には、もう聞いてしまった後だった。少し後悔である。
「そ。二人で」
 男は言った。
「ジャズ、好きなんですか?」
 慌てて、私は聞いた。
「オレ的にはアームストロングが熱いね」
 男は言った。
「アタシはサッチモがスキ」
 女がそう言うと、男がげらげらと笑った。私には笑いの意味が分からなかったので、
「何なんです?」
 聞いてみた。
「おたく、ジャズに暗いヒト?」
 男はそう言うとまた笑った。どうやら、答える気なんかないらしい。生暖かい風が吹いていた。
「オレたち、ね。このトラックで日本一周しようか、とか思って」
「日本一周ですか……」
「アタシたち、ね。二人でバーをやろうかな、とか」
 女はぱしぱし、と手を叩いた。
「アウトドアなバーをやるの」
 そう言うと、立ち上がって、トラックの後ろを指差した。そこにはたくさんの酒瓶が並んでいた。
「おじさん、飲もうよ。今日はアタシのおごり」
 女はそう言って立ち上がると、テキパキと準備を始めた。男もゆっくりと立ち上がり、バーベキュー・セットの準備を始めると、さっさと肉を焼き始めた。
「へぇ……」
 私は圧倒されていた。不思議なライフスタイルだ。今まで見てきたどんな人生よりも自由に見える。妙に羨ましくなってしまった。
「店の名前とか、あるのですか?」
 私は聞いてみた。
「吾輩はバーである。名前はまだない、なんて、ね」
 男はおどけた。
「おじさん、何飲む?」
 女が聞いた。
「じゃあ、ギムレットを」
 私が言って、オーケィ、と女は親指を突き立ててウィンクした。
 太陽は南中だ。セミのジリジリとした鳴き声の一斉射撃。私は静かに流れる風に身を任せていた。
「新しい出会いに乾杯!」
 三人は乾杯をした。肉の焼ける匂いがした。妙な連帯感だった。
「よし、肉だ」
 男がそう言って、串焼きの肉を私に手渡してきた。
「バーって言うより、これじゃ、バーベキューじゃないですか」
 私が言うと、
「定義なんて興味ない」
 男は手を振った。それもそうだ、と思った。彼らにとって、いや、私たちにとってここがバーであれば、何の問題もないのである。

「あ、」
 不意に女が言って、空を見上げた。ポツリ、ポツリ、と雨粒が落ちてきた。
「夏だから、な。土砂降りかも知れねぇな」
 男が言って、煙草を地面に擦りつけた。
「じゃ、店じまいといきますか」
 二人は慌てて道具をしまい始めた。私は飲みかけのグラスを片手に、そんな彼らの様子を眺めていた。空は一面、透き通る青から灰色に変わっていく。
「ゴメンね。アウトドアなバーは雨に弱いの」
 女が謝った。
「いや、楽しかったですよ」
 私は言った。二人はトラックに乗り込んだ。
「駅まで送ります?」
 男が窓から顔を出す。明らかに二人乗りのトラックだ。女がちょっと横に動いて、小さなスペースを空けた。
「いや、歩きますよ。たまにはこんな日があってもいい」
 私は言った。まだそんなに雨足は強くない。駅まで数分で辿り着ける。大丈夫だ。
「そ? じゃ、また、ね」
 女が手を振った。
「ありがとう」
 私は言った。エンジンをかける音が原っぱに響いて、それから、砂利を蹴散らしながらトラックは行ってしまった。私はしばらく、そこに立っていた。雨が少しだけ強くなっていく。
「あ、」
 私は呟いた。彼らの名前を聞いていないことに気がついたのだ。また会えるだろうか。彼らはあのトラックで日本一周をするという。この街は、彼らから見れば、何番目に訪れた街なのだろう。彼らの終着点はどこにあるのだろう。また、この街に来ることがあるだろうか。
 空は何処までも灰色だった。川の色まで、濁って黒くに染まっていく。駅まで歩こう。私はゆっくりと、川沿いを戻っていった。