コラムコンテスト お題「駅」(2002年)

混入した空想癖

 あいつはもういない。そんなことは分かりきっていた。行ってもムダかもしれない。それでもこうして走っているのは、きっとどこかで期待しているからだ。おまえがきっと俺を待ってくれているって、淡い期待を寄せている俺がいるからだ。だって、「さよなら」って置き手紙一枚で終わっちまうなんて、そんなの信じられるわけがない。何も言わずに、勝手に出て行っちまうなんて、そりゃ、あんまりじゃないか。
 俺はただひたすら、走っていた。
 空想だけなら、とうにそこに辿り着いているのに、どこまでも重たい身体が邪魔だった。溶け出して、空気にでもなって、そこに辿り着きたかった。おまえがいる駅に。
 階段を駆けのぼる。あぁ、俺はこんなにもあいつが好きだったのだ。ホーム、三番線。押し寄せる人波に押されながら、俺の眼はあいつを探す。頭がバーコードのサラリーマン。おしゃべりな女子高生。ふてぶてしいオバタリアン。煙草の煙。自動販売機。
 いた!
 真っ白い帽子をかぶったあいつが、確かにそこにいた。
 白い帽子が、長い黒髪が、電車の中に吸い込まれていく。待て! 待ってくれ!
 プシューとバカみたいに間抜けな音がして、俺の眼の前で無情にも扉は閉まっていく。ふっとあいつが顔を上げて……。
 ガラス窓を通して、俺とあいつの視線がぶつかった。上目づかいのあいつの瞳の中に俺がいる。その瞬間、刹那と永遠が混じり合った。
「……あ、」
 あいつの口が、確かにそう動く。
……三番線、電車が出発します。危ないので、白線の内側までお下がり下さい……
 駅員の聞き取りにくいそんなアナウンス。それに呼応したかのように電車はゆっくりと動き出し、やがてその加速度を増していった。