こらむらんど お題「(文字数文字)999」(2007年)

バス待ちの攻防

 夕暮れのバス停には二、三人の人が並んでいた。私は時刻表を見る。それからピンクの腕時計。どうやらまだ大分来ない。十五分くらい待つことになりそうだ。どうしようかと考える。本屋に行って戻って来るだけの時間があるだろうか。ついつい本屋に長居してしまう私だ。きっと読み耽ってバスを逃す。うーん。仕方ない。私は読みかけの文庫本を読むことにした。結構、古臭い文体でなかなか難解。集中力を要する本だったから、細切れの時間の中で読むことには多少の抵抗がないわけではなかったのだけれど。
 大きく口を開いたショルダーバッグを覗き込む。緑色の背表紙。手を突っ込もうとした瞬間、見慣れない紙切れを発見した。絵葉書ぐらいの紙切れ。こんなの入れていたっけ。私はそれを取り出すと裏返してみた。そしてぎょっとした。
 それは写真だった。ピンボケの。女が赤ん坊を抱えてカメラに向かっている写真。でも、赤ん坊が近すぎるせいか、うまくピントが合っていない。女の顔は鼻のところでフレームアウトしていて目は写っていない。けれど、女の口元がにっこりと笑っていることははっきり分かった。思わず身震いした。
 私は慌てて周囲を見回した。バスを待つ人々は思い思いに過ごしている。考えごとをしていたり、漫画を読んでいたり、ケータイをいじっていたり。いつの間にか列は少し長くなっていた。
 私は気持ち悪くなって、また再び鞄の中に写真を戻してしまう。どうしてこんなものが私の鞄に入っていたのだろう。いや、それよりもどうやってこれを処分しよう。そう思ってはっとする。何しろ写真を捨ててしまうことには抵抗があった。人が写っている写真だ。燃やしたり破いたりしたら祟りがあるんじゃないだろうか。神社とかに持っていって、神主さんに捨ててもらうというのはどうだろう。あるいは落し物として交番に……。
 ふと私の視線が隣りの男性に向かった。少年誌を開いて読み耽っている男性。学生だろうか。肩から提げているバッグの口が大きく開いていて、中からたくさんの教科書が覗いている。私の目はそこに引きつけられてしまう。そうだ。私は写真を取り出した。もう一度写真を眺める。女のにやにや笑い。くるりと裏返すと、そっと彼のバッグの中に落としてしまう。するり。写真は鞄の奥の方に消えて見えなくなった。その瞬間、どっと汗が溢れ出した。
 やがてバスの光が向こうからやって来るのが分かって私は安心する。