ペルーン
[東スラヴ神話]
【言語】Перу́н(ペルーン)【ロシア語】
Перунъ【古東スラヴ語】,Пярун(ピョルン)【ベラルーシ語】
【容姿】武器を持った年老いた神。
【特徴】スラヴ神話の主神。雷神。軍神。天の神。豊穣神?
【出典】『原初年代記』『イーゴリ遠征物語』ほか
東スラヴの最高神!?
ペルーンは、東スラヴ(ロシアやウクライナ、ベラルーシなど)で崇拝されていた雷神。基本的にスラヴ神話に関する資料はほとんどない(スラヴ人は文字を持たなかったので、情報が整理されないうちにキリスト教に圧倒されて消えてしまったのだ!)。そのため、はっきりしたことは分からないが、ペルーンは東スラヴの最高神だったと考えられている。何しろ、断片的な資料の中で、神々の中で最初に名前を挙げられるのがペルーン神なのである。
東スラヴ人は氏族の集合体としてそれぞればらばらに生活していたが、9世紀になって、半ば伝説的ではあるが、ようやくリューリクРю́рикによって統一の道を歩き始め、そして彼の後継者であるオレーグОле́гによってルーシという国に統一された。そのオレーグやリューリクの子であるイーゴリИ́горь、その後継者のスヴャトスラーヴСвятосла́вなどの大公(クニャージ)たちは、しばしばビザンツ帝国に攻撃を仕掛け、あるいは彼らと貿易を行っていたことが、断片的な資料から伝わっている。彼らはペルーンという神を掲げ、崇拝していた。彼らはビザンツ帝国と講和条約を結んでいるが、その際、オレーグ、イーゴリ、スヴャトスラフといった歴代の大公たちとその部下たちは、ペルーン神に条約締結を誓ったと記録されている。ペルーン神は軍神であり、王族や諸侯たちの神だったと目されている。
ペルーンという名前は「打つ」という古い東スラヴ語に起源を持っていて、《(雷で)打つ者》という意味がある。ポーランドやチェコ、スロヴァキア、リトアニアにも類似の名前の神が見出される。また、ヴェーダ神話のパルジャニャपर्जन्यという雨の神(雷を伴う雨雲を司っている)とも関連しているとされる。ペルーン神は弓矢で武装し、雷雨の中、炎の車に乗って天空を駆け巡り、悪霊たちを威嚇した。雷鳴はペルーンの馬車の走る音、稲妻はペルーンの射かける矢であった。
ペルーンはしばしば稲妻を模した斧を持った年老いた神としても描かれた。ヴラジーミル一世Влади́мирがキエフの丘に建てたとされる神殿は有名で、ペルーン像など6つの木造の神像を祀ったとされ、ペルーン神は、頭部は銀箔、髭(ひげ)は金箔で彩られた年老いた神として表現されていたという。金箔の髭は偉大さを、銀箔の頭部は白髪を表していたと考えられている。このように年老いた神として表現されるのは、インド・ヨーロッパ語族の年長者による家父長制度の名残と思われ、ペルーン神が最高神だったことを裏づけている。また、ペルーン神は天の神、天候を司る神として、農業を守護する豊穣の神としても崇拝されたという。
聖人イリヤに重ねられたペルーン神!?
スラヴの神々で国家の統一を図ろうとしたヴラジーミル一世だったが、途中で路線変更し、キリスト教に改宗している。そして自らがキエフの丘に作った木造の神像を破壊するように命じている。まさに「君子豹変す」である。ペルーン神の像は棒で打ち叩かれ、ドニエプル河に投げ捨てられた。スラヴ地域のキリスト教化は徐々に進んでいたが、この出来事を契機に、ペルーンを含め、東スラヴの神々は弾圧されていくことになる。しかし、キリスト教導入後も、これらの古い神々への崇拝は民衆の間に「二重信仰」として残っていく。ペルーン神はキリスト教の聖人イリヤへの信仰と重ねられ、稲妻は預言者イリヤが起こしているものとされ、雷鳴はイリヤが雷雨の中、天空を駆ける音だと信じられるようになったという。