アーヴァンク

[ウェールズ伝承]

名称 Afanc(アーヴァンク)《ビーバー》【ウェールズ語】
別称 Abac,Abhac(アバック),Addanc(アザンク),Adanc(アダンク),Avanc(アーヴァンク),Avranc(アヴランク)
※ Abhac=アイルランド語のabha《川》に由来する。
容姿水中にいるため姿は不明。近年は巨大なビーバーとも。
特徴水の怪物。水中に引きずり込んで喰らう。洪水を起こすことも。
出典『マビノギオン』ほか

湖に棲まう怪物って基本的に正体不明だよね!?

アーヴァンクはウェールズの伝承に登場する湖の怪物。水辺にはとかく化け物の類いが棲みやすい。特に湖の奥底に正体不明の化け物が潜んでいて、人間を水中に引きずりこんで喰らうなんて話は世界中あちこちで聞くことができる。北ウェールズでは、こういう「湖の怪物」のことをアーヴァンクと呼んでいるようだ。アーヴァンク伝承でもっとも有名なのは、アル・アーヴァンク湖のアーヴァンクである。アル・アーヴァンク湖はコンウィー川から流れ込んできた水が渦を巻いている。そのため、うっかりその渦に落っこちてしまうと、水中に引き込まれ、二度と上がってこれないとされた。この渦の正体がアーヴァンクという怪物である。アーヴァンクはこの湖の奥に棲んでいて、普段は水中に身を潜めている。けれども誰かが水辺の近くを通りかかると、水中に引きずり込んで貪り喰ってしまうのである。

この怪物の姿は、実はよく分からない。伝承によってその姿はさまざまで、クロコダイルのようだという人もいれば、巨大なビーバーのようだという人もいる。正体は水の悪魔なのだという人もいれば、実は小人なのだという人もいる。こんな風に姿や形がはっきりと分からないのは「湖の怪物」にはよくあること。あのネス湖のネッシーだって、首長竜だという人もいれば、アメフラシのような生き物だという人までいて、その姿は千差万別だ。湖で爬虫類のような怪物を見たとか、いや、あれは四足獣の姿だったとか、実は正体は悪魔なんじゃないかとか、昔のウェールズの人々は湖に潜むナニモノかをめぐって、いろいろと想像をたくましくしたのかもしれない。

ちなみに、現在のウェールズの言葉では、「afanc(アーヴァンク)」は《ビーバー》のこと。そのため、現代ではアーヴァンクは巨大なビーバーであるとされることが多いようだ。

怪物アーヴァンク、ブリテン島を大洪水に!?

人を水中に引き込んで貪り喰らうアーヴァンクだが、水中でのた打ち回って洪水まで引き起こすという。ウェールズの詩人ヨロ・モルガヌグ(Iolo Morganwg)がスィオン湖(おそらくバラ湖のこと)のアーヴァンク伝承を紹介している。彼によれば、アーヴァンクはイギリス全土を巻き込む大洪水を起こしたという。この大洪水でブリテン島の人々はすべて溺死してしまい、唯一の生き残りであったドウィファン(Dwyfan)とドウィファフ(Dwyfach)という一組の男女が、現在のブリテン島の祖先になったという。まるで『旧約聖書』の「ノアの箱舟」伝説みたいな物語である。

ちなみにヨロ・モルガヌグという人物は多数のウェールズ文献を「発見」している人だが、現在ではそのほとんどが贋作であることが判明している。このアーヴァンク伝承も彼の贋作のひとつである可能性はあるが、多くの書籍でこの伝承もアーヴァンク伝承として紹介されることが多いので、当事典でも記載しておく。

乙女には滅法、弱いんです!?

ジョン・リース(John Rhys)は『ケルトのフォークロア―ウェールズとマン島(Celtic Folklore, Welsh and Manx)』にアル・アーヴァンク湖に棲むアーヴァンクの伝承を採取している。アル・アーヴァンク湖のアーヴァンクは鋭い爪と怪力の持ち主で、大人が大勢で引っ張っても引き上げられなかった。しかし乙女には滅法弱かったのである。あるとき、乙女の膝枕で眠っているところを、村人と牡牛によって引っ張りあげられ、縛り上げられてしまった。

Oni bae y dai ag a dyn / Ni ddaetha'r afanc byth o'r llyn.

牡牛の力がなかったら、このアーヴァンク、淀みから引き離されることはなかったのに。

(John Rhys『Celtic Folklore: Welsh And Manx』第2章「The Fairies' Revenge」より)

その後、クウム・フィノン(Cwm Ffynnon)湖に連れて行かれ、今でもそこで生きているらしい。

アーヴァンク退治、いろいろ

ヨロ・モルガヌグのウェールズ文献に登場するスィオン湖のアーヴァンクは、フガダーン(Hu'Gadarn)という角をはやした神さまが遣わした牡牛によって退治されている。牡牛はアーヴァンクを引き上げると、怪物を乾いた土地へ連れて行ったという。そこでアーヴァンクは魔力を失ったのである。どうやらこのアーヴァンクは水の中でしか力を発揮しないようだ。

『マビノギオン』で英雄ペレドゥル(アーサー王伝説に登場するパーシヴァルの原型となった英雄)が退治した湖の怪物アダンクも、アーヴァンクと同一視されている。『マビノギオン』にはアダンクの姿に関する描写もアダンク退治の詳しい描写も述べられていないので、よく分からない。アダンクは<悩みの王の息子たち>の城と呼ばれる城のそばにある湖に棲んでいる化け物で、毎日、王の息子たちを生け贄として要求し、殺していたという。そのたびに城の女性たちは息子たちを生き返らせていた。ペレドゥルはこの話を聞くと、アダンクを退治するために出発する。途中、美しい女性が現れて、不思議な石を与えてくれる。彼女によれば、アダンクの棲む洞窟に入ると、アダンクには侵入者の姿が見えるのに、侵入者にはアダンクの姿が見えなくなるのだという。けれども、この石を持って入れば、逆にアダンクの姿は見え、アダンクには侵入者の姿が見えなくなるという。そこでペレドゥルはこの石を持ってアダンクの棲む洞窟に入り、アダンクを槍で刺し貫き、首を切り落としたという。この『マビノギオン』に登場するアダンクは毒槍を持っていて、それで人間を殺すというから、どうも怪物アーヴァンクのイメージからは少し遠い。けれど、湖の洞窟に身を潜め、生け贄を要求して殺すという点では「湖の怪物」といえる。アンナ・フランクリンはアバック(Abhac)のことを「水の精霊」と説明しているが、毒槍を持つアダンクはまさに精霊のイメージに近いかもしれない。

バルヴォグ湖にもアーヴァンク伝承は残されている。この伝承では、アーサー王が湖に鎖を投げてアーヴァンクを引きずり出して退治したとされている。バルヴォグ湖の湖畔には現在でも馬の足跡が残っていて、この足跡はアーサー王がアーヴァンクを退治したときに乗っていた馬の足跡だと説明されている。

未確認動物になったアーヴァンク!?

イギリスの伝承には「水棲馬」と呼ばれる怪物の伝承が多数、残っている。ケルピーやアッハ・イシュケー、オヒシュキなど、地方によって呼称はさまざまだが、その性質は大体共通していて、通りがかった人間を自分の背中に乗るように仕向けると、そのまま水中に引きずり込んで貪り喰ってしまうというものだ。アーヴァンクは、この「水棲馬」のウェールズ版にすぎないとする研究者もいるようだ。「水棲馬」の1つであるアッハ・イシュケーの天敵はクロー・マラと言って、これは「水棲牛」である。アル・アーヴァンク湖でアーヴァンクを引き上げるのに牡ウシの力を借りたこと、あるいはヨロ・モルガヌグが言及する神さまフ・ガダーンが遣わしたのが牡ウシであったことなど、「湖の怪物」の天敵として「ウシ」が登場している点は、注目すべき点である。

現在ではアーヴァンクは巨大なワームのような怪物(体長18メートルぐらいとされているので、かなり大きなサイズ!)として想像される場合もあって、実際に現地の人がそのようなアーヴァンクをコンウィー川で目撃したなどという報告がなされている。こうなってしまうと、もはや未確認動物(UMA)の範疇になってしまう。イギリスには多数のワーム伝承が残されていて、そういう影響もあるのだろうけれど、現在でもウェールズでは、アーヴァンク伝承がさまざまに形を変えて生き残っているということなのかもしれない。

《参考文献》