付喪神(ツクモガミ)

[日本伝承]

名称付喪神(ツクモガミ)【日本語】
容姿古道具が目や口、手足を持って動き回る。
特徴100年経った古道具が魂を持って怪異をなす。百鬼夜行する。
出典『付喪神記』ほか

古い道具が化けて出る!?

室町時代の『付喪神記』という書物の冒頭には、「陰陽雑記に云ふ。 器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とある。つまり、器物(道具)は作られて100年経つと変化(へんげ)し、魂と心を持って動き出すというわけだ。そして、これが付喪神と呼ばれていたのである。

唐傘お化けを知っている人も多いと思う。目が1つついていて、2本の腕がにょきっと生えていて、1本の足が生えていて、高下駄を履いている。あれは最もメジャーな付喪神と言ってもいい。このように、道具が擬人化され、目や口、手や足などを持って動き回るのが付喪神なのである。

昔から、日本では、道具を粗末にしたり乱暴に扱って捨てると祟られるという信仰があった。現在でも、立春に先立って煤払い(すすはらい)という行事を行う。現在では、大掃除のイメージがあるが、『付喪神記』によれば、これは家の中にある古道具を引っ張り出して穢れを祓い、付喪神の災難を回避するものだ、と説明している。

付喪神の語源は「九十九髪」である。「九十九」「は「百」から「一」をとったもので、すなわち「白」のこと。だから、九十九髪というのは、要するに「白髪(しらが)」で、年を経た古いものを意味する。

すでに鎌倉時代に、器物を擬人化したような妖怪の絵が描かれている。そして室町時代には『付喪神記』に代表されるように、「付喪神」という言葉が使われるようになっている。それまで鬼(オニ)が中心だった妖怪たちの百鬼夜行が、この時代から徐々に器物が中心の百鬼夜行になっていった。室町時代に軽工業が発達して、生活道具が大量に出回るようになった。多くの器物(道具)が安易に消費されるようになったことが背景にあると指摘されている。

有名な付喪神たち!?

江戸時代にはたくさんの付喪神たちが描かれた。有名なものをいくつか紹介しておこう。

雲外鏡
(ウンガイキョウ)
100年以上を経た古鏡の妖怪。鏡の中に妖しい顔が映る。
文車妖妃
(フグルマヨウヒ)
恋文の妖怪。想いが手紙に乗り移って妖怪になった。
瀬戸大将
(セトタイショウ)
たくさんの瀬戸物が集まって甲冑を着た大将のようになったもの。
唐傘お化け
(カラカサオバケ)
唐傘が1つの目と口、2本の手、1本の足を持ち、舌をだらりと垂らしながら、ピョンピョンと飛び回る。

《参考文献》