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スラヴ神話・スラヴ伝承

東スラヴの神話

  • ペルーン:東スラヴの雷神。軍神。最高神。天の神。
  • ヴォーロス:東スラヴの獣の神。家畜の神。富の神。商業神。地の神。

西スラヴの神話

  • ベロボーグ:白き神。善神。
  • チェルノボーグ:黒き神。悪神。

スラヴ伝承

スラヴの地理と歴史

スラヴ神話・スラヴ伝承というのは「スラヴ人」たちの神話や伝承だ。でも「スラヴ人」ってどんな人たち? あんまりイメージが湧かないという人も多いと思う。だから、簡単に「スラヴ人」たちの土地や歴史について説明しておこう。

スラヴ人ってどんな人!?

「スラヴ人」は、使っている言葉で分けると、ざっくりと三つに分けられる。ロシアやウクライナ、ベラルーシなどに住む東スラヴ人、ポーランドやチェコ、スロヴァキアなどに住む西スラヴ人、そして旧ユーゴスラヴィアに住む南スラヴだ。括弧書きで現在の地名を記載したので、この地図を見れば、大体のスラヴ諸国の地理関係がイメージできると思う。この中で、他の国々よりもちょっとだけ濃い茶色で書いてあるのが主に「スラヴ人」たちが住んでいる国。

スラヴ地域の地図

もともとのスラヴ人はカルパティア山脈に暮らしていた人々らしい。ロシア平原に移動し、森林地帯を開墾しながら勢力を拡大していった。ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの東スラヴ人は、9世紀頃からルーシ族に率いられて、ノヴゴロドやキエフという河川流域の都市を中心に活躍し、13世紀にバトゥ率いるモンゴル系のキプチャク・ハン国に滅ぼされるまで、ロシア平原で活躍していた民族だ。東ローマ帝国との関わりから、現在は宗教的には正教会の人が多数派を占めている。

ポーランドやチェコ、スロヴァキアなどの西スラヴ人は、ゲルマン民族が西に大移動し、空白になった地域に進出していった人たち。ドイツやオーストリアなどの西欧の列強国に隣接しているので、歴史的には早いうちから西欧化した。その関係で宗教的にはカトリックやプロテスタントの人が多い国々。

南スラヴ人はバルカン半島に南下したスラヴ人の一派で、かつて「ユーゴスラヴィア」と呼ばれていた国に属していた国々。もともと「ユーゴスラヴィア」という言葉自体が「南スラヴ」という意味だ。ここは東西から色んな民族が出入りする。だから宗教も色々なので未だに紛争が絶えない。昔から「ヨーロッパの火薬庫」などと呼ばれていた地域。地理的にイスラーム勢力とヨーロッパのキリスト教勢力がぶつかり合う場所なのだ。現在でも、イスラーム、カトリック、正教会と、色々な宗教の人が混在している。

ちなみに東欧にはハンガリーやルーマニアみたいな非スラヴ人が中心の国も存在している。アルバニア人も非スラヴ人。アルバニア系の人種が住むコソヴォがセルビアと未だにゴタゴタしているのは、そんな背景がある。

これで一応、概ねのスラヴ地域の地理関係は把握できた。

スラヴ地域にヴァイキングが侵入!?

もともと、スラヴ人たちはカルパティア山脈に暮らしていた民族で、ロシア平原に移動し、氏族を中心とするグループ単位で、森林地帯を開墾して生活してきた。9世紀以前にスラヴ人として統一された国家は持たず、また、文字の文化も持たなかった。

8世紀半ば頃から、バルト海沿岸で活動していたヴァイキングたちが勢力を拡大し始めた。デーン人(デンマーク人)やノース人(ノルウェー人)などイングランドやフランスへ侵攻していった一派もいたが、スヴェア人(スウェーデン人)のように、スラヴ地域に侵入してきたヴァイキングの一派もいた。

地図を見ると分かるように、スラヴ人たちが住んでいた地域は河川が張り巡らされていて、水路として最適な地形になっている。バルト海からネヴァ川を使ってラドガ湖へ、そしてヴォルホフ川を南下してイリメニ湖を抜け、ロヴァチ川を遡上し、一部、陸路を通ってドニエプル河を抜けると、黒海へと辿りつく。バルト海から東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のコンスタンティノープルへ至るヴァイキングたちの商業ルート、交易路として注目されたわけだ(地図の赤いライン)。ヴァイキングたちは途中でスラヴ人から蜂蜜などの農作物や高価な毛皮などを略奪し、それを東ローマ帝国に売って儲けたわけだ。また、オネガ湖からヴォルガ河を下り、カスピ海に抜けるルートもあって、こっちはイスラーム世界の中心地バグダードに繋がっていた。まさに略奪と交易、植民を繰り返すヴァイキングたちにとって、ロシア平原は魅力的な土地だったのである。

9世紀頃のスラヴ地域

リューリクにより、スラヴ国家まとまる!?

交易路として、ただロシア平原の河川を素通りするだけではなく、当然、そのままそこに土着化し、スラヴ人を支配するヴァイキングたちも現れる。半ば伝説的ではあるが、ヴァイキングの首長リューリクРю́рик率いるルーシ族によって、ノヴゴルドという都市を中心にスラヴ人初の国家が作られた。862年のことだとされている。こうしてヴァイキングの一派はイリメニ湖の畔(ほとり)を交易の中心地とし、スラヴ人と同化していった。さらにリューリクの後継者であるオレーグОле́гとイーゴリ公И́горьは、民族を南下させ、キエフを中心としたスラヴ人の国家を建国した。このキエフ・ルーシは9世紀から13世紀にモンゴル系のキプチャク・ハン国に滅ぼされるまで、ロシア平原を中心に非常に大きな勢力となった。世界史の教科書なんかには、リューリクの国はノヴゴルド国、オーレグとイーゴリ公の国はキエフ公国なんて名前が書いてあるんだけど、彼らはいつだって自分たちの国を「ルーシ」と呼んだ。

東スラヴはキリスト教国家へと変貌していく!?

スラヴ人たちは独自の宗教を持っていた。それが現在、「スラヴ神話」と呼ばれているものだ。でも、文字を持たなかった彼らの当時の記録はほとんど残されていない。それに9世紀頃には、すでにキリスト教が緩やかにスラヴ地域に入り込んで来ていた。彼らの宗教は古いスラヴの宗教だけではなくなっていたのだ。これまで述べてきた東スラヴ地域で言えば、キエフ・ルーシを打ち立てたオレーグやイーゴリ公の時代に、すでに諸侯の中にキリスト教を崇拝する一派がいたことが分かっている。オレーグやイーゴリ公はしばしば東ローマ帝国を襲撃し、講和条約を結んでいる。オレーグやイーゴリ公は東スラヴの主神であるペルーン神Перу́нの前で祈りを奉げ、条約を宣言しているが、彼の部下である諸侯たちの中には、キリスト教の教会で、キリスト教的な儀礼に則って祈りを奉げ、講和条約を宣言している諸侯もいたことが当時の資料から伺える。すでに彼らの国には教会もいくつか建っていたのである。イーゴリ公の妻オーリガО́льгаも、コンスタンティノープルでキリスト教に改宗し、洗礼を受けたとされている。この時代、緩やかに、スラヴ世界はキリスト教に呑み込まれようとしていた。イーゴリ公の孫に当たるヴラジーミル一世Влади́мирは、強硬な宗教改革が行い、彼の命により、人々は強制的にキリスト教の洗礼を受けさせられた。キエフの丘に立てられていた古い神々の像は破壊され、神々が祀られていた神殿のあったところには、キリスト教の教会が建てられていった。

このようなわけで、文字文化を持たず、キリスト教に呑み込まれてしまった東スラヴの古い神話を知る資料は非常に少ない。周辺の国々(東ローマ帝国など)が記録したスラヴの記述や、キリスト教化した後の年代記のような歴史書からスラヴ神話を類推し、再構築するしかないのが実情だ。けれども、民間伝承の中では、スラヴの神話が生き残っているものが多い。一神教のキリスト教ではあるが、聖人(セイント)に対する信仰の中に、スラヴの古い神々の痕跡が多く残されている。また、ドモヴォーイДомово́йのように、精霊のような姿に形を変えて生き残ったスラヴ人の信仰もたくさんある。